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起業と本についてのWebマガジン

コミュニティカフェ運営、その未来に描くもの

いつからだろう。

自分の頭のなかにそんな願望が宿っていた。

 

「楽園をつくりたい」

 

思い出してみると行きつけの喫茶店を間借りして、いわしくらぶというシーシャカフェを創業したとき、オープン準備の最中にそんな考えが頭に浮かんでいた。

 

世界は荒れていてもいい。ここだけは誰かにとっての楽園にしたい、と。

2012年3月。東日本大震災の翌年だった。

 

形容しがたい風景 

小さい頃からときどき夢でみるあの景色。

見たことのない懐かしい風景。

天国のような場所。

心のふるさと。

 

なんと形容したら良いのだろう。

 

ひとくちに「楽園」と言ってみても、それは決して「南の島」的なステレオタイプの楽園像でもないし、あるいは酒と女と金にまみれた「酒池肉林」的世界でもない(ちなみに女の子は好きです。念のため)。

 

なかなか表現しにくい僕の「楽園」だが、先日とある知人から「大地くん、これみたことある?」と、ひとつの動画を紹介されて僕はその世界に通じる細道のようなものをみつけた。

 

▲この映像作品はSONYがハイビジョンテレビ『BRAVIA』のCMとして制作。ディレクターはデンマーク出身のNikolai Fuglsig氏。2005年のサンフランシスコで、25万個のスーパーボールを使って3日間かけて撮影された。尚、本作品はその年のカンヌ国際広告賞で金獅子賞を受賞。

 

すべてがあって、すべてがない世界 

この作品をみたとき、僕は僕の心が震えたのを感じた。比喩でもなんでもなく、ただただ自分の心が震えた。

 

決してこの作品の風景が自分のみていた楽園像に、姿そのまま酷似していたわけではない。ただ「何か」がとても似ている。それは目に見える違いではなく「楽園」とこの作品の双方の世界観にあくまでも通奏低音のように流れるものだ。

 

すべてが醜く、すべてが美しい。

記憶はあるが、存在はしない。

 

僕らいわしくらぶが目指す世界もそんな境地だ。

 

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僕がいわしくらぶを通じてかなえたいたった1つのこと

いわしくらぶという「カフェ」を2012年に北海道北見市で創業した。

 

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飲食店経営について詳しいわけでもなかったが、リスクヘッジとして会社員としての仕事を続けながら、当時足繁く通っていた喫茶DALTONの週末の夜の時間を借りて営業を始めた。

 

2014年になり「そろそろいい頃合いかな」と当時勤めていた会社を辞め、独立。店舗を北見の繁華街に移して、フルタイムでの営業を始める。さらに同年、地域メディア「オホバン」を仲間とともに立ち上げた。僕は実質2年ほど店舗に立ち仲間も次第に増えてきた2016年、今度は店舗運営を継続しながらWEBコンサル業と地域商社事業を始める。

 

そして2017年、高校時代の同級生から「東京にもいわしくらぶをつくろう」と誘われたのをきっかけにして、水道橋にいわしくらぶ2号店を出店。そして今に至るわけだが、いつも心のなかにある思いは変わらない。

 

「誰かにとっての楽園をつくりたい」

 

楽園をつくる理由 

話は変わるが、小説家の村上春樹氏は「小説を書く理由」についてこう語った。

 

私が小説を書く理由は、煎じ詰めればただひとつです。個人の魂の尊厳を浮かび上がらせ、そこに光を当てるためです。我々の魂がシステムに絡め取られ、貶められることのないように、常にそこに光を当て、警鐘を鳴らす、それこそが物語の役目です。(エルサレム賞の授賞式にて)

 

僕たちいわしくらぶも、ほぼ同じ目的を持っている。それは、

 

「地域コミュニティのもつ尊厳を浮かび上がらせ、そこに光を当てること」

 

本来、地域コミュニティというものは居心地のいいものだ。それはもともと種の存続や効率の良さを求めて構成されるものであるからだ。ただ、そのコミュニティが健全に機能(最適化)していない場合、居心地が悪くなる。

 

僕らのいわしくらぶという「カフェ」にできるのはそのコミュニティを最適化することだ。コミュニティに集う個人の魂の尊厳を浮かび上がらせ、そこに光を当てること。

 

カフェには人が集まる。休息を求める人、友人と談笑したい人、趣味や仕事の場として、イベントの会場として使いたい人。その目的はじつに様々だ。

 

僕らは日々そのような様々な求めに答えながら視覚的、聴覚的、思考的・・・じつに様々な形式の情報を手に入れ、そして吐き出す。まるで呼吸をするように。その営みはつまり、個々人が普段眠らせているボイスをできるだけ丁寧に拾いあげ、それらを他の人々にも触れられる形にして表現できるように手伝うということだ。

 

僕らの運営する「カフェ」がそんな場所である限り、地域のなかではそこがもっとも多様な情報の集まる場所になる。そして僕らはそこで得たリソースを利活用して地域の最適化に取り組む。

 

メディア運営、コンサルタント、地域商社。

 

だからそこ、我々は「カフェ」でありながらメディア運営、コンサルタント、地域商社など複数の事業を手がける。それらすべてを手がけることで初めて「地域を誰かにとっての楽園にする」というミッションを果たすことが可能になるからだ。

 

店を、地域を、世界を楽園にする。 

もちろん誰かにとっての楽園は、ときに誰かにとっての地獄にもなりうる。


その事態を避けるために僕らはまず普遍性を持ちつつも特定のニーズのみに即した店をつくる。つまりそれが「誰かにとっての楽園」を作り出す、という作業になる。そして、そこを基軸に店舗のある地域の人にも使ってもらえるよう場を整え、地域コミュニティとの強い繋がりをつくる。そうしたのちに、日々の営業をとおして先述の方法で地域の最適化を行う。つまり地域の楽園化である。


今現在、僕らが手がけているのは本店のある北見市を含む北海道・オホーツクエリアと、2号店のある水道橋・神保町・神楽坂エリアだ。まずはこの二箇所でしっかりとした基礎力を自分たちにつける。


ゆくゆく僕らは求めに応じる形で世界のあらゆる地域にでかけ、そこらじゅうに「誰かにとっての楽園」をつくってゆく。その取り組みは「楽園」を体験した人たちによって波のように伝わり、いつしか世界そのものが楽園に変わる。かなり乱暴なロジックだが、僕はそうなると直感的にそう感じている。


その手始めの一歩として、いわしくらぶにはシーシャが必要だった。


シーシャ(あるいはシーシャカフェ)は17世紀半ばから18世紀にかけてイギリスで発達し、いまは形骸化してしまったコーヒー(あるいはコーヒーハウス、カフェ)の文化にとって代わって、人々のあいだに有機的な繋がりを産むツールになりつつある。それは日本だけではない。


アメリカのブルーボトルをはじめとするポートランド、ブルックリン発祥のいわゆるサードウェーブ系カフェにはその文化がまだ残っているのかもしれないが、例えば日本・アジアのスターバックスにはいわしくらぶが意味するところのコーヒーハウス的要素はない。


まあ、この辺りの説明については次号以降のコラムに譲りたい。

 

とにかく僕がやりたいことは、誰かにとっての楽園をつくること。ただそれだけだ。

 

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▲noteでも書いてます