Startups&Books -起業と本

起業と本についてのWebマガジン

文章を書くという作業がもらたすもの

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文章を書く機会って日頃どのくらいあるでしょう。もし、それが1万文字を超えるような長い文章だと、その機会はなおさら少なくなるのではないかと思います。

 

しかし、ブログを定期的に更新するようになって思うのですが、「文章を書く」という作業は思考を整理してくれます。「あれ?そもそも自分はなぜ〇〇をしたいと思ってるんだろう」「〇〇という考えはいつからするようになったんだろう」などと、その内容は様々ですが、文章を書くという作業は自分自身をより深く知るための作業です。

 

排泄物のつもりで書け

先日、とあるDJとブログについて話しをしました。そのDJも最近ブログを始めたばかりで、僕らはブログを日々更新しつづけることの難しさや、あるいは文章を書くことの楽しさについて話しました。

 

その話のなかで「ブログは成果物なのか?排出物なのか?」という話になりました。そりゃあ読む側からすればつくったものが素晴らしければ成果物で、そうでなければそれは排出物である、というだけの話なのですが彼は面白いことを言いました。

 

「ブログを続けようと思ったら、それが排出物なのか成果物なのかなど気にせず、とにかく出す(書く)のがいい。出す(書く)ことが習慣になれば、だんだんと文章を書いてゆく筋力のようなものがつく。そうしたらいつしか成果物だって作れるようになっているはずだ」

 

僕は(こいつ、ブログを始めたばかりのわりには良いこというな)と内心思っていたのですが、「それは面白い指摘だねえ」と答えて笑ってごまかしました。

 

たしかにブログは“トイレに行ってうんこをする”くらいの気持ちで更新するのがいいのかもしれません。出来にこだわって公開を躊躇ばかりしていたら、いつまで経っても公開できませんし、そもそも文章を書くというのは「終わりのない道」なのです。 

 

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自己変革への道

『ウォーク・ドント・ラン』という本があります。

 

 

この本は、若き日の村上龍と村上春樹の対談が記録された本なのですが、そのなかで二人は小説を書く行為についてこのように述べています。

 

春樹:ぼくはね、小説書くのは自己解放だとは思わない。自己変革だと思うわけ。小説書くことで、自分が変わっていくインパクトっていうか、刺激になればね、小説ってそういうもんじゃないかなっていう気がするけど。

 

龍:そうかもしれないですね。

 

春樹:ボネガットの場合、彼は自己変革してるんだね。そういうのにやっぱりすごく感じるわけ。だから、自己解放っていうのは、自分の感性に、頼りすぎるんじゃないかなっていう気がする。自分が他人(ひと)とどう違うかということに・・・でも僕はそうは思わなくて、自分がワン・ノブ・ゼムであって、しかも自ら変革していこうという意志を持ってると。そういうのが小説じゃないかなという気はするわけ。どっちにしても、自己表現じゃない。

 

龍:そう、自己表現じゃないと思うなあ。むしろ表現できないからね、ああいうのを書くような気もするけどね。

 

春樹:だけど、自己表現のための小説書く人が多すぎと僕は思うけどね。ただ、小説書いても解放されないでしょう、なかなか。

 

龍:されないね(笑)。僕は自分が変革していくっていう意識はないですけど、妙なことがわかったりしますね、小説書いていくとね。あ、おれってこんな人間なのかなってわかるときがありますね。

 

それがどんな種類の文章であれ、すべての「書く」という作業は自己変革の道です。自分が無意識にやっていたことを、意識上そして紙(モニター)の上にあげていくこと。

 

文章を書く作業によってもたらされるもの。それは新たな自分との出会いなのかもしれません。

 

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