人生をある程度思うように運ぼうとするならば、どれだけ「真理(のようなもの)」を知っているか、触れているかが重要な気がしてる。
「ありあまる富」って椎名林檎のめちゃくちゃ好きな曲があるけれど、それを2週間くらいまえひさびさに聞いてずーっと考えてたけど、結局ここで歌ってるのって、この真理に繋がった状態の人と、そうでない人の対比の話なのではないかと。
真理の人はいわゆる「富の源泉」みたいなものが自分の足元にあって、それが井戸水のように湧いてくることを知っているけれど、そうでない人は水を求めてはいても、その方法が自分の足元を掘ることであることに気が付かず、あるいは知っていても自分に合ったスコップを見つけられずに「我田引水」、いかによそから水を引いてくるかを考えている。
それはそれでいい。しかし、そこで得られるのはあくまでも相対的な富でしかなく、絶対的な富、椎名林檎の歌う「ありあまる富」ではない(のではないか)。しかし、気づけないこと、うまく掘れないこと、湧き出してこないことが悪いわけではない。すべては過程なのだ。掘ろう。どんどん掘ろう。