続・日刊いそかわ

創作のためのメモ書きとして

八潮の茶室にて

今年初のお茶の稽古のため八潮に行ってきた。そこで僕はひさびさに「あの瞬間」に立ち会った。この茶室で出会う「あの瞬間」はなんというか、「これこそが(日本人としての)幸福の最終形なのでは?」と、予感させる。ほとんど何もない空間にのそっと顔をだす鈍い色の釜。そこに立ち上る湯気が、僅かに差し込むすきま風と木漏れ日に溶けてゆく。苔むした庭に植えられた椿が蕾をつけ、視界の隅でゆらゆらと揺れている。静けさの中に、老い人と若き人それぞれの息の音をきいて、過去から現在へと脈々とつづく時の流れの一端を垣間見る。その一瞬こそが「あの瞬間」であり、僕らが永遠に追い求める郷愁そのものだ。その一瞬は、かつて生きていた画家、音楽家、その他数多の芸術家と呼ばれる人たちが求めた景色でもある。「あの瞬間」。僕がシーシャカフェをやりながら追い求めているものはこれなんだ、ということに今更ながら気づく。本来ならば、いつどこを切り取ったって美しいはずのこの世。しかし、その美しさは極めて儚く、切り取り方ひとつで感じ方は変わってしまうし、忙しい日々を過ごしていると、そう簡単には出会えない。ならば、我々がその一瞬を切り取って、皆に見せてあげられるようになれないだろうか。美しい「あの瞬間」。それを皆と分かち合いたい。そんな思いがいま胸のなかにある。僕は作品がつくりたい。そうだ、これまで僕は作品をつくるつもりで店を作り続けてきたんだ。それは毎日息をして、日々刻々と変わり続ける作品。いわしくらぶ創業からまもなく丸10年が経とうとしている今、自分がその人生のひとつの節目にいると強く感じている。次の10年も、ぼくは作品がつくりたい。もっともっと、さらに深いところで。次はどんな作品をつくろう。それはもはや店ではないのかもしれないし、やはり店なのかもしれない。いずれにしろ僕は、生きているうちに「あの瞬間」ともっと出会いたいし、それをまわりのみんなと分かち合いたい。そんなことを八潮からの帰り道で考えた。f:id:kinpiraninjin:20220118215015j:image