続・日刊いそかわ

創作のためのメモ書きとして

20220125

 ひとつ小説を書いている。なんだか最近は書くことがとても楽しくなってきた。「書くことでしか考えられないことがある」と、そんな意味のことをどこかの作家がエッセイに書いていたけれど、それは少なくとも僕にとっても当てはまる話だ。書くことでしか考えられない種類の考えごとはたしかにある。

 ただ、小説も日記も「文章を書く」という点では同じだけど、それぞれの作業では脳みそのつかう箇所がすこし違うような気はしてる。小説は右脳/日記は左脳、みたいな。いまは小説を書いているのが楽しい時期。できるだけ正確に綴ろうとするよりかは、空想のままに筆を走らせるのが精神的にも心地いい。

 

 話は変わるけど先日、山梨は清里〜長野の野辺山に行ってきた。真冬の清里は想像以上に寒くて、僕は上着をもっと厚いものにすればよかった、と現地に着いてすぐに後悔した。北海道の厳寒期と同じくらいの寒さのなかで、ぶるぶると小刻みに震えながら夜じゅう焚き火をした。だけど、清里の空気は澄んでいて肺のなかがすっかり綺麗になったような気さえする。

 冬の寒さは厳しいけれど、そのせいなのか春夏秋以上に山や空が美しくみえる。野辺山ではレタス畑から眺めた山の稜線とそのうえに浮かんだ月があまりに美しくて、しばらく立ちすくす。何かが降臨してきそうな月明かり。奥行きのある濃紺の夜空。まるでモンゴル帝国を舞台にした壮大な物語の主人公にでもなったのか、と勘違いしそうだった。

 山には定期的に足を運んで、この澄んだ空気と景色を忘れないようにしよう。この世界はあるがままで美しい、ということが肌でわかるから。長いこと自然から離れると、生き物としての自信を失って、生来怠惰な僕はついつい目の前の小欲に流されてしまいそうになる。いつも大欲を忘れずにいよう。

 

 さて、今日から京都。2週間ぶりにここを訪れると、ひさびさに来たような気さえするようになった。そのうち「京都に行く」から「京都に戻る」という日がくるのか。北海道、東京、京都(たまに山梨や長野)というほぼ三拠点生活になりつつあるけれど、今年は体調にも気をつけながらペースを守って仕事をしていく。

 年始にみたとある占いに「今年は自分が思っている以上に身軽になります」と書いてあったけれど、考えてみればすでに仕事も私生活もともにそうなりつつあって「占いスゲ〜」となっている。占いスゲ〜。「つぎの10年がはじまるでしょう」とも書いてあって、今年でちょうど23歳のときに始めたシーシャカフェいわしくらぶが10周年を迎えることも重なる。そう、今年からまた新しい10年が始まるんだ。

 

 北海道で生まれ、東京を経て、京都でいったいどんな時間を過ごすのか、何を吸収して、つくり上げるのか、正直自分にもまだ全体像は見えてないけれど、毎月仲間たちと話し合いをするなかでその片鱗は見えてきたような気もする。変化するということは当然楽なことばかりではないけれど、結局良いことも悪いこともすべて見方を変えれば、ギフトでありチャンスなのだ。変化するための "機会" でしかない。そう考えると、どんな逆境も乗り越えられ…そうな気もするんだけど、バッドに入ってるとなかなかそうも思えないのよね〜。弱ってると、まわりのスタッフや友人たちがサッと手を差し出してくれてるから本当にありがたい(ありがとう)。

 近々、noteで「いま考えるこれからの話」みたいなこと書けたらなと思ってるけど、どうだろう?結局書けない気もするな…。さて、今日も寝よう。明日も朝からやることでいっぱい。タバコ吸いて。