日記

在家のまま禅を学んでいます

(やっと)あけましておめでとう

自分の多動症的な性質がこれまで以上に強くでてるのか、あるいは、ただ自分のことを客観視できるようになっただけなのか、どうもここ最近は落ち着かないでいる(落ち着きがないのは元々だな、うん)。新しい土地でお店と生活を同時に組み立てているから、と言うことも多少あるのかもしれないが、何かをしようと思い立っても、すぐさまこっちに気を取られ、あっちに気をとられ・・・。そうこうしているあいだに「あれ、俺は今なにをしようとしていたんだっけ?」となってしまう(同じような悩みを抱えている人は少なくないはず)。こうなったらいっそのこと競走馬みたいにブリンカーでもつけてしまおうかと思った。冗談でなく。現実問題、自分がとれる対策として考えたのは「やることの優先順位をシンプルにする」ことだった。例えば、年末から現在にかけて最優先においていることは文章を書くこと。それだけ。そのこと以下はすべて並列。「え?文章を書くこと??それよりも大切なことってあるんじゃないの???」と、昨年末までの自分だったら思っていたのだけれど、これまでいわしくらぶをやってきて思ったことは、やっぱり誰かと何かを一緒にやっていく以上、その精神的支柱でもある自分は文章を書かないとだめだ。いや、文章は自分で書かなくてもいいんだけど、いずれにしろ事業の核となる「想い」は、しっかりと言語化し、しつこいくらいにまわりの人に伝えるべきだ。それも何度も。継続的に。でも、隣に誰かがずっといて、みんなに伝えてくれるわけでもないし、Slackでいちいち伝えてると僕の場合、 “姑のお小言” のようになってしまい、伝えるほう/伝えられるほう双方の精神衛生上よくはない。いくつかの手立てを考えた結果、その日に思ったことをこうして日記風に書いて、あとで読んでもらうのが合っているような気がした。僕にしても言葉を並べながら考えを整理することもできる。一石二鳥だ。そう決めてからというもの、やはり文章を書くことにそれなりの時間をとられてはしまうのだけど、考えがまとまったおかげで、それ以外の時間では意識的に動けるようになって、むしろ仕事効率は上がった。思考もこれまでよりは、幾分クリアになった。まわりの人がそれを感じてくれてるかは知らん(こら)。話は変わるけど、日記といえば平安時代の貴族たちのことを調べていると、どうも彼/彼女らも普段から日記を書くように推奨されていたらしい。どこで読んだのかは忘れたが、元々は宮廷の各役所の仕事にあたる貴族たちが公的な記録としての日記(公日記)を書くようになり、そこから派生して個人の日記(私日記)を書くようになったんだとか。それが現代に『古記録』として、ひとまとめにして伝えられている。おそらく彼/彼女らも先人の遺した文章を参照・書写をして、いろいろと助けられてきたのだろう。「よし、いっちょオレたちも子孫たちのために書き残してやろうじゃないか」そんなノリで日々の出来事を記録するようになったんじゃないか、とぼくは勝手に妄想している。有名なところでいえば、紀貫之の『土佐日記』や、紫式部の『紫式部日記』もそう。ときの最高権力者である藤原道長も『御堂関白記(みどうかんぱくき)』という日記を書き残していて、それはなんと写本でなく現物(自筆本)で残っているというから驚きだ。それは当然のことながら国宝となり、近衛家の管理する陽明文庫で大切に保管されているそう。ちなみに、これらの日記は正確には回顧録であり、つまり多少脚色されていて、誰かに見られることが前提だったという。そういう意味では平安時代の日記とは、現代におけるブログであるとも言える。さすがに電子データが千年先まで残っていることはなさそうな気がするけど。さて、今日はひさびさに大阪はピカスペースへ。オーナーのひとりである日下さんが「新作の写真家ミックスを考えた(ピカスペースには大量の写真集があり、各写真家にちなんだシーシャのオリジナルミックスを提供している。詳しくはこちら)から試喫しにきて!ついでに新年会もしよう!!」ということで、車を走らせ一路、京都から大阪へ。今回の新作はAndreas GurskyTerry Richardson、そして我らが都築響一である。こんなことを言うと偉そうで恐縮なんだけど、日下さんの調香の腕はメキメキと音を立てて上がっていて、その成長カーブはこれまで教えてきたなかでもダントツだ。それもそのはず。日下さんに聞いてみたら、とんでもない数の試作を繰り返していた。本業がコピーライターである日下さんは、普段は出張で日本各地を飛び回っているが、その出張先にも、ちゃんとシーシャセットを持って出かけているらしく、各地でシーシャを作っては吸いつくっては吸い、をひたすら繰り返しているのだ。恐るべし、好きこそ物の上手なれ。確かに、うまいシーシャをつくるためには、ただひたすらに吸い、ひたすらにつくってみるしかない。とことん研究開発。とてもシンプルだ。あえて言うならばシーシャ以外にも、お香や香水、コーヒーやお茶、お酒のフレーバーも普段から気にしてみるといい。素材が違うが故に、シーシャとはまた違った発見があったりする(そのせいで東京の事務所にはお香や香水、コーヒー豆やお茶類、お酒が山ほどある)。と、話が横道に逸れてしまったが、今回の新作の出来もかなり良かった。Gruskyはとある二種類のフレーバーを使用していたのを、さらにもう一種類を足してもらい、Richardsonはレシピそのものはよかったので、熱の入れ方のみを変更するようにお願いした。都築に関しては、言うことなし。豆感が際立つ日本風のシーシャに仕上がっている。むしろ大変勉強になった。この商売を始めてまもなく十一年が経つけれど、こうして一緒にシーシャや香りを極めていける仲間が、しかも全国にできるとは思いもしなかった。初期のいわしを支えてくれたみんなと乾杯がしたい。さて、一月ももう間もなく終わるけれど、自分の感覚としては「やっとお正月が終わるな」という感じだ。やっとお正月が終わる。これまで毎年一月四日あたりから「アクセル全開にしなきゃ〜〜!」と思い、焦って過ごしていたけど、昨年の暮れにとある人から「あなたは一月中は正月気分で大丈夫そうだよ」と言われたので、そのつもりで過ごしていた。すると不思議。なんだかいつもより肩の力が抜けて、安定した気持ちで過ごせた(ちなみに財政には若干不安がある)。そして、今週あたりからは自然と「そろそろアクセル踏み始めてみようかな?」と思いはじめてきた。もしかすると節分/立春をひとつの区切りとするほうが、身体のバイオリズムには合っているのかもしれない。前置きが長くなったけれど、今年からはこれまでとは考え方・やり方を変えてみたいと思う。そのひとつが「やることの優先順位をシンプルにする」こと。焦らず、しかし確実に、物事を前へと進めたい。と、そんな気持ちに引っ張られて筆まで進むから、ついこの時間まで書いてしまったけど、そろそろ寝たほうがよさそうな時間だ(午前六時)。それでは、また。おやすみなさい。