日記だから素直に書こう。どうせ誰もみてやしないんだし。そう思ってこれまで書いてきた日記だが、最近サボっているせいなのか、久々に会った人から「じつは(あなたの)日記を読んでいる」と言われることが立て続けにあり、ドキッとした。そんなこと言われたらもう書けないじゃん。なんて思うほどナイーブでもない。今日もいつものように好き勝手に書く。さて、京都に住んで早二ヶ月が経った。まだたったの二ヶ月だが、されど二ヶ月でもある。新しい環境、それもこの京都という環境において僕の内面は確実に変わりつつある。環境というのはそういうものだ。良くも悪くも人を変えてしまう。いま感じているこの変化が自分にとって良いことなのか、はたまた悪いことなのかという判断は一旦置いとくが、いずれにしろ僕は「変化しつつある」というその事実にまず、満足している。僕はいま変化を欲しているから。SNSからは距離をおき、紙の本とノートに触れる時間が長くなった。MP3からは遠ざかり、アナログレコードを聴くようになった。誰かと過ごす時間が減って、一人で過ごすことが多くなった。そう、孤独になったのだ。
すると、どうだろう。これまで以上に己の狂気について考えるようになった。これまで見て見ぬふりをしてきたもの。黒くどろどろとしていることはわかるのだが、決して目には見えないもの。ひとりの夜、書斎(いまつくっている京都の店の二階には僕がそう呼ぶ場所がある)に籠って調べ物をしたり、実験したり、書き物をしていると、その黒々としたものが腹の底あたりから、ぐつぐつと音を立てて湧き上がってくる。ときにはその闇に飲み込まれ、ときには「まあまあ」とそいつを慰める。正体不明なその黒いやつの正体は未だにわからないが、いずれにしろ僕にとって必要な存在ではあるらしい。それだけはわかる。しかし、気を抜くとそいつに呑み込まれてしまう。だから、僕はつねに身体の健康に気をつかう必要がある。健康な精神を手に入れるためには、健康な身体こそが大事だからだ。適度な運動、栄養のある食事、そして十分な睡眠。そう、それは我々がいつか夢にみた「丁寧な暮らし」というやつだ。そう、僕はいま、京都で丁寧な暮らしを実践しているのだ。鉄瓶で湯を沸かし、煮立ったそれを日清の即席麺に、ゆっくりと慎重にそそぐ。丁寧な暮らしの見本のような生活である。そんなくだらない冗談はさておいて、ここからが本題である。と思ったが、何を書こうとしたのか忘れてた。つまり、そういうことなのだ。3月は京都でアートイベントへの出展、4月は東京「有時庵」でのお茶会。他にも色々と控えている。忙しくて死にそうだ。