09:20起床。
まどろみのうちに目が覚める。睡眠と覚醒のはざまにいながら、いまの自分が無意識のうちに囚われている事柄にふと気づく。脳みそというやつは主人が寝ているあいだにも休まず働いているらしい。今回はいつもとは違うタイプの気づきだった。たとえば、お金への執着を減らしたと思っていながらも、じつはそのぶん名誉を求めていること。お金もお金でじつは執着する役を相方に担ってもらっているだけで、結局は求め続けていること。色欲は言わずもがな。坊主の格好を真似てみただけでいくぶん悟ったような気になって、坐禅を一時間も組めない。これはかえってたちが悪い。木曜日からの移動や仕事のおかげで文字どおりクタクタになって、いつもとは違う脳の回路にでも繋がったのかもしれない。いまの己が醜さを知ることができたことに感謝しよう。ふぅ〜。
昨夜、森道市場の会場である愛知県蒲郡から帰宅したのは午前2時。なんとか事故も起こさず京都まで運転して帰ってきたものの、さすがに頭が働かず、とにかく歯だけは磨いて洋服はそのままで寝たらしい。帰宅後の記憶がほとんどない。今朝はさすがに6時に目覚めることはなく、しっかり9時過ぎに起きた。健康でなりより。疲れてはいるが、この身体的な疲労感はどこか心地がよくて好きだ。起きてから顔を洗ってすぐに香を焚いて坐禅を組む。心を見つめる。
以静制動。静を以て動を制する。以前、お茶の師匠に「坐禅をしたい。摂心をしたい」と伝えたら、この言葉を教えてくれた。たしかに、座るのはいい。静を極めるということはすごいことなんだ、と。「しかし、とても難しいことだよ」僕の多動的な性質を知っている師匠は、君にそれができるかな?と釘を刺してくれた。朝のまどろみはさまざまな気づきのきっかけを与えてくれるが、朝の坐禅もまた然り。ほぼ覚醒しつつもあえて身体を動かさないことで、心の動きをありありとさせて、いまの自分を見つめる。そうこうしているうちに色々なことを思いついてしまい、結局20分で動きだす。それが今の自分だ。
さて、シャワーを浴びてコーヒーを飲みに行こう。あるいは抹茶でも点てようか。