大死一番

06:24起床

今朝のまどろみに浮かんできた言葉は「自ずから死に近づいて生を得る」。肺炎から回復して、先日ついに退院した故郷にいる祖母のことを思い出して、死についての考えが頭に浮かんだ。祖母の状況とは大きく違うが、自分はこれからあえて厳しい環境に自らの身を放り込もうとしている。おのずから死に近づいて(=生への執着を捨てて)みることで、これまで以上に浮かんでくる生があるのではないか。そんなことを考えた。ふと気になって調べてみると禅の語録『碧巌録』にも似たような話がある。

 

趙州、投子に問う。「大死底の人、却って活する時如何」投子云く、「夜行を許さず。明に投じて須く到るべし」

 

唐代に活躍した趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)と投子大同(とうすだいどう)が交わした問答だ。問いにある「大死底」とは肉体の死ではなく、あらゆる執着(しゅうじゅく)を捨て切った境地のこと。死にきった時に初めて、生き返ったかのように自由自在のはたらきが現れるのは何故か、という趣旨だ。また、こうもある。

 

須是らく大死一番して、却って活して始めて得し

 

真理は肉体の死によってではなく、あらゆるものを捨てきった境地に初めて得られることを言い表している。改めて我を見つめ直してみると欲まみれのなかにも、必要のない欲をも抱えていることに気づく。捨てきった境地までとは言えないが、必要のないものはどんどん手放していこう。欲の大掃除。

 

さて、今日から六月。いよいよ、修行の日々が始まる。