風流人

0630起床

聖俗のあいだに生きている。そもそも僕のいう聖が、本物の聖かと問われればそうではない。俗中の聖、とでも言おうか。僕なりにちゃんと聖俗のあいだを行き来している実感はある。

 

このごろはすっかり6時前後に起きるようになってしまい、その後もダラダラとまどろんでいる。先月のように4時にパッと目を覚まして顔を洗い、そのまま坐る、みたいなことはない。これは先月の僕が志を立てた直後で張り切っていただけかもしれないし、躁状態だったのかもしれない。あるいはストレスのせいで気が立っていたのか。だけど、今のこの状況をダメだとも思わない。だらしない自分を見つめて、認める。そして、そこからふたたび歩き始める。それでいい。現実から目を背けないことが大切だ。この環境がぬるいと感じるならば、ゆっくりと薪を焚べれば良い。

 

「良寛さんや山頭火はお坊さんではなく、僧の衣をきた風流人(ふうりゅうびと)。志を持つならば、ちゃんと師匠をもって修行をすることが大切」

 

先月、とあるお寺の住職が法話のなかで話していた。坊主頭に作務衣姿で坐禅会に参加していた在家の僕は、なんだか自分のことを言われたような気がして、ひとり赤面していた。そりゃ、俺だって僧堂いきたいよ。なんてことを考えると「まずはしっかり茶を」脳裏の宗看師匠がぼくを叱る。(´-ω-`)ハイハイ

 

西陣につくったあの場所に腰を据えて、諸々をやることがおれの修行だ。あそここそが寺・僧堂だと思ってしっかり打ち込もう。うむ。

 

白居易、問う。

「如何是仏法大意(仏法というのは、ざっといえばいったい何なのだ)」

鳥窠、こたえる。

「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸佛教(悪をするな、善をせよ、そして自分の力で心を浄めよ、それが仏の教えである)」

 

結局、自分で自分の心を浄めるしかないのだ。

 

昨日は友人の事務所の庭仕事を手伝って、昼ご飯を馳走になった。はじめて猪の肉を食べたけれど、油がすっきりとしていて美味しかったな。今日はひとりで落散の露路の草とりをしたのちに、吸うお茶の実験。夜は家に帰って作文のつづき。

 

今日は晴天、最高気温34℃。京都あっちー。