日記

在家のまま禅を学んでいます

祈りの長短是非もなし

0600起床

坐禅一炷。外も少し涼しくなってきた。坐ってすぐに坐禅の本質は祈りだと気づいた。只(ただ)坐るだけだというが、それも含めて祈りだ。非常に宗教的な行為である。だから、神社や教会でお祈りをするのと一緒。禅宗なりの祈り。祈りのひとつの形。だから5分でもいいし、50分でもいい。祈りの長短に是非もなし。

 

てか、8月お茶の稽古いけてないからか、めちゃ稽古したくなってきた。釜に火を入れて、お茶でも点てようかしら。

 

今日は午前は貴船神社に行ってくる。