ここ数ヶ月のあいだ、茶と禅にまつわる本ばかり読んでいたが、いつだったかお茶の晋彩先生が、なにかの会話のなかで「お茶は禅から多分に影響を受けているが、さらに遡れば空海、華厳教までもが云々」と(たぶんそんなことを)言っていた。しかし、それからなんとなく華厳経や空海のことが気になって買い求め、先月末くらいから読み始めた司馬遼太郎『空海の風景』。台湾出張にも持っていき、飛行機内や仕事の空き時間に読んだ。この物語の舞台は空海の出生地・讃岐国つまり香川県から始まる。すると、偶然にも今月12日に香川県三豊市への旅に誘われた。ありがたいことに誘ってくれてた友人が「旅費はもつよ」といってくれたので、お言葉に甘えて “のこのこ” とついて行った。現地に到着し、すこし経ってから気がつく。ここは空海の故郷じゃないか、と。空海の生まれ故郷は、正確には三豊市の隣にある善通寺市だとされているが、三豊市と善通寺市は車で15分である。ほぼ同じ地域といって差し支えないだろう。15歳で平城京に上るまで、幼い頃の空海もこの湿度を感じて過ごしたのか、と思えば読みかけの『空海の風景』が突然、その色の鮮やかさを増したように感じられた。この目に入る景色を、空海もまた眺めたのだろうか。本のなかだけでなく、実際に見える風景そのものもまた躍動しはじめた。司馬さんの文体から伝わってくる太々しい態度の青年・当時はまだ私度僧だった空海が四国の山林を歩き、土埃に塗れながらも、目の奥はいつだってギラギラと発光させていたのではないかと想像する。そんな香川旅を経て、帰ってきた京都。すると、これまた空海さんに縁のある真言宗のお寺での勉強会に誘われた。
つづく?