今、札幌市にきています。10月1日に京都を出発し、東京・長野を経て、京都に帰ったあと、すぐに札幌へとやってきたのです。目的は父の見舞いです。今回の約二週間の旅(あえて旅と言います)は、いつも以上に「人生の先輩方」と話す機会のおおい旅でした。Yさん、S先生、Oさん、Mさん、Orさん、Maさん、そして再びYさん。とにかくあらゆることを話しました。仕事のこと、人生のこと。軽いものから、重めの話まで。ある人には思い切って、僕はこれからどのように生きるべきかと尋ねました。彼/彼女らはそれぞれの視点から、ぼくには思いつかないような素晴らしいアドバイスをくれました。その内容は「〇〇せよ」という具体的なものではなく、どちらかというと抽象度の高いものでした。とくに困っているときには具体的なアドバイス(つまり即効性のある薬)が欲しくなるものです。でも、そうでないことがかえってよかったと今では思います。なぜならば、「咀嚼する作業」こそが真に必要な作業だったからです。彼/彼女らのアドバイスを理解するために、僕は移動時間を使ってとにかく考えました。いわしくらぶとは何だったのか。Ochillとは何なのか。僕が果たすべき社会的役割は果たしてあるのか?あるとしたら、それは何なのか。どんなスタイルで仕事をするべきか。どうやって仕事をするべきか。何を変えて、何を変えないのか。東京を去って、京都に暮らしてからというもの新しい環境に慣れることに必死で、考えることができてなかった「これからの生き方」。大きなテーマについて想いを馳せた12日間でした。ここの答えが出るまで、体を動かしながらしっかり考えてやろうと思っています。