自由と不自由

昨日から西陣・落散10月の公開がスタートした。一・二部どちらにも来客があり、おもてなしをさせていただいた。二部にきた方からはとてもおもしろいフィードバックをもらい、僕がここ数週間感じていた違和感の正体が掴めたような気がした。そのお客さんもすごい。たった一回で見抜いた。この違和感の具体的な内容についてここで書くのはまだ控えておきたいが、大雑把にいえばOchillというチームのいまの弱点についてである。この違和感は今のぼくにとっては主なストレスの種であり、度を過ぎると体調を崩したり、経営に支障をきたしたりする原因になるのだが、これをちゃんとコントロールできるようになるとむしろよい燃料になる。弱みと強みは裏表。弱みをいかに強みに転換するか。僕自身が試されているような感覚だ。ポイントは「あまり首を突っ込みすぎないこと」な気がしてる。あくまでもキルタが代表取締役で最大株主である以上、彼の意思決定を尊重したい。しかし、彼も人間だからときどき間違う。そうなると、まったく放ってしまうのはまずい。ところどころで力添えをする必要はある。才能の有無は別として、経営者としての歴でいえば僕のほうが長い(それにしては僕はよく経営判断を間違う)。ないものを探すよりも、あるところを見つけよう。直感力や自らを信じる力など、ある種の才能はとても豊かな人だ。また、彼と仕事をすることで、ぼくは自身の弱みを新たに発見することができている。京都の街にはやっと慣れてきたけれど、これからはパートナーシップについての修行の日々だ。「いいかい。職場に嫌な上司や部下がいても、それは自分で選んだ修行なんだよ。家に帰って、こわい嫁さんがいても、それも自分で選んだ修行。逃げてもいいよ。だけど、たぶんまた他の場所でも同じ思いをするよ。だからさ、一ヶ月でいいよ。とにかく逃げずにやってごらん。一ヶ月してもダメだったら、そのときは遠慮なしに逃げていいから」書店での丁稚時代に、とある社長さんから言われた言葉を思い出す。自由というのは不自由のなかにこそあるものだ。どこへいってもどうせ不自由なのだから、不自由のなかにむしろ潜り込んでいく。その意気地こそが自由への鍵。どうか皆さんも、不自由のなかで楽しくいきましょう。自由と不自由も表裏。