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その男、甘ったれ起業家につき|磯川大地のブログ

いわしくらぶ代表・磯川大地のブログ

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【書評】至極の名言集!芸術家・岡本太郎の『壁を破る言葉』

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どーも、磯川大地(@isokawadaichi)です。

 

今日は本の紹介をしたいと思います。

というのもじつは僕、本のソムリエなんです。

 

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10代のころ『読書のすすめ』という東京都江戸川区にあるちょっと変わった本屋さんで丁稚奉公をしていまして、そこで「本のソムリエ」清水克衛さんに2年間師事していました。

 

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dokusume.com

 

なので、このブログでは「本のソムリエ」らしく本の紹介もやっていきたいな、と考えています。

 

 

『壁を破る言葉』岡本太郎(イースト・プレス)

 

さて、記念すべき第1冊目はこの本です。

 

 

芸術家・岡本太郎の至極の名言が詰まったこの一冊。

この本の内容はもちろんですが、本自体のサイズがすごく良いんです。

 

 

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触れて感じて、読んで楽しむ。

それも本の醍醐味です。

 

ちなみにデザインを手がけているのは「鈴木成一デザイン室」。

情熱大陸にも出演している装丁家の鈴木成一さん。

さすがです。

 

そもそも岡本太郎って誰?

 

日本を代表する芸術家・岡本太郎ですが、知らない方のために以下にそのプロフィールを掲載しておきます。

 

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出典 - Wikipedia

岡本 太郎(おかもと たろう、1911年(明治44年)2月26日 - 1996年(平成8年)1月7日)は、日本の芸術家。血液型はO型[1]。 1930年(昭和5年)から1940年(昭和15年)までフランスで過ごす。抽象美術運動やシュルレアリスム運動とも交流(ただし合流はしていない)した。第二次世界大戦後、日本で積極的に絵画・立体作品を制作するかたわら、縄文土器論や沖縄文化論を発表するなど文筆活動も行い、雑誌やテレビなどのメディアにも1950年代から積極的に出演した[2]。 引用 - Wikipedia

 

芸術家としての代表作は?というと、これですよね。これ。

そう。「太陽の塔」です。

 

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太陽の塔(たいようのとう)は、1970年大阪府吹田市で開催された日本万国博覧会(EXPO'70・大阪万博)の会場に、芸術家岡本太郎が制作した芸術作品であり建造物である。岡本太郎の代表作の1つである。太陽の塔は、大阪万博のテーマ館のシンボルとして建造され、万博終了後も引き続き万博記念公園に残された。モデルは、岡本太郎が飼っていたカラス[5]。 引用 - Wikipedia

 

というわけで岡本太郎の説明はここまでにして、名言をご紹介します。

 

至極の名言集!「壁を破る言葉」から選んだ名言9選 

 

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出典 - TRANSIT

 

1.

限界は、考えない。

人間は、はじめから限界のふちに

立たされているんだから。

 

2.

なぜ、創るのかって?

創らなければ、世界はあまりに

退屈だから、創るんだ。

 

3.

なんでもいいから、まずやってみる。

それだけなんだよ。 

 

4.

同じことをくりかえすくらいなら、死んでしまえ。 

 

5.

芸術なんて、道ばたに転がっている石ころと等価値だ。

芸術に憧れたり、芸術が大変なものだと思っているやつに

芸術家がいたタメシはない。 

 

6.

芸術のあるところ、そこが世界のセンターであり、

宇宙の中心なんだ。

それは東京でもいいし、秋田でも、北京でも

リオデジャネイロでもかまわない。

 

7.

ゴッホは美しい。

しかしきれいではない。

ピカソは美しい。

しかし、けっして、きれいではない。 

 

8.

制約が多いとみんな悩んでいる。

だが、制約があるからこそ、

自分のしたいことを貫くのがほんとうの行動になると思う。 

 

9.

ほんとうの人間は両性具有だ。

猛烈に男性的であり、或いは、なまなましく濃く女性的。

相手に求めない。 

 

さあ、いかがでしょうか。

「バシバシ刺さった!」という方は、ぜひご一読を。

ずっとそばに置いておきたい一冊です。

 

 

「もう読んだよ」と言う方には、こちらがおすすめ!

 

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人生は短いからやりたいことはやったほうがいいけど結構しんどいです、という話。

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どーも、磯川大地(@isokawadaichi)です。

 

「やりたいことはやったほうがいいけど結構しんどいです」という話です。

 

プロフィールにも書いたように僕は、16歳のときに高校を中退して以降、「やりたいことだけ」をやって生きてきました。


www.isokawadaichi.com

 

まさか自分でもこんな人生を歩くはめになると思ってなかったんですが、性格的に嫌なことに我慢して取り組むことがまったくできないんですね。

 

なので、あくまでも「逆説的に」やりたいことだけをやる人生になってしまっているんです。

 

 

わがまま放題。人生放浪記

17歳---高校中退

実業家でもあった父の影響で小さい頃から「将来は俺も実業家になる」と思ってはいたものの、大学進学を目指して地元の進学校に入学。しかし、松下幸之助や斎藤一人など歴代高額納税者の本を読んで「ああ、二人とも低学歴なんだ」と思い、高校を中退。すぐさま上京し、東京都江戸川区にあるちょっと変な本屋「読書のすすめ」で本のソムリエ・清水克衛に師事。丁稚奉公生活をはじめる。

 

丁稚(でっち)とは、商家に年季奉公する幼少の者を指す言葉。職人のもとでは弟子、子弟とも呼ばれる。江戸時代に特に多かった[1]。 現代でも一般社員(ヒラ社員)が自嘲的に「まだ丁稚です」と比喩的に使う事もある。上方ことばの丁稚に対して江戸言葉では「小僧」である。 引用 - Wikipedia

 

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 2年間お世話になった「読書のすすめ」

19歳---丁稚中退

「時代を代表するような大商人になる!」と意気込んで商売の修行に励んでいた丁稚時代に元春日大社の宮司・葉室頼昭さんの本に出会う。そこで落語家・桂米朝や大阪フィル初代指揮者・朝比奈隆を知り、「芸人」の世界に憧れる。そこで、当初は3年という約束だった丁稚奉公を2年で辞め、帰郷。今度は「朝比奈隆のような大指揮者になる!」と音大入学を目指して通信制高校に入学。

 

葉室 賴昭(はむろ よりあき、1927年 - 2009年1月3日)は日本の宮司。 東京都に生まれた。公家の藤原藤原北家勧修寺流(藤原為房の次男藤原顕隆が家祖)の流れを汲む伯爵葉室家[1]に生まれ、学習院に初等科から高等科まで通った[2]。大阪大学医学部を卒業後、勤務医を経て、形成外科医院を開業した。診療を続けながら通信教育で神職を勉強。神職の最高階位である明階を取得した[2]。神社庁の推薦を受けて平成4年(1992年)に東大阪市の枚岡神社の宮司に就任[2]。平成6年(1994年)8月、春日大社の宮司に就任した[2]。平成20年(2008年)3月、春日大社宮司を退任[2]。翌21年(2009年)1月3日、肺炎で死去。 引用 - Wikipedia 

 

 

20歳---通信制高校中退

音楽大学入学のため、地元の飲食店でアルバイトをしながらお金を貯め、通信制高校に通うも「音楽家になるために、なぜ音楽大学を出る必要があるんだろう」という疑問が頭をもたげ、それ以降勉強に身が入らなくなる。そのときに人から「君は音楽よりも芝居の方がいい」と言われ、またもや高校中退。「島田正吾のような大役者になる!」と鼻息荒く再上京。

 

島田 正吾(しまだ しょうご、本名;服部 喜久太郎<はっとり きくたろう>、1905年12月13日 - 2004年11月26日)は、新国劇の俳優。横浜市生まれ。 引用 - Wikipedia 

 

21歳---再び帰郷

役者を目指し再上京するも、どこから手をつけたらよいのかもわからず、ただアルバイトに明け暮れる日々に心折れ、数ヶ月で帰郷。「次はちゃんと調べてから、上京しよう」と、高校の先輩が立ち上げた映像制作会社に勤め、地元の劇団に所属し舞台の経験を積みながら、再々上京の準備をするが・・・。

 

22歳---東日本大震災

2011年3月11日、東日本大震災。世界中を震撼させた大災害が起きる。北海道にいたものの、そのときのメディアや芸能界の動きをテレビやネットでみて「役者になっても結局、スポンサー企業の言いなりか」と思い、芝居熱が冷め上京計画を取り止める。「それじゃあ、自分が自分のスポンサーになろう」と再び実業家としての道を考えはじめる。

 

24歳---いわしくらぶ創業

映像制作会社に勤めながら、週末起業。学生時代からお世話になっていた地元の老舗喫茶店「DALTON(ドルトン)」の金曜日と土曜日の夜の時間帯を借りて、シーシャカフェ「いわしくらぶ」を創業。現在に至る。

 

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書くだけでも結構しんどい

はい、わがまま放題やってます、僕。高校中退から起業までのあいだに親にはもちろん、友人、先輩後輩、学校の先生だけでなく商いの先生である「読書のすすめ」清水店長にも、かなり迷惑をかけて生きてます。

 

当時は夢もコロコロ変わり、そのぶん目指す進路も大きく変わって、色んな人の期待を裏切って生きてきました。

 

正直にいうと、この記事では28歳の現在に至るまで仔細に書こうかと思ってたんですが、なんかもうダメです。書いてるだけでもつらい。ギブアップ(気が向いたら、また続きを書きます)。

 

だけど、やりたいことはやったほうがいい

そんな迷惑ばかりかけてきた自分ですが、それでもやっぱり「やってみたいな」と思ったことはやってみたほうがいい。だって、死ぬ間際のことを思い浮かべてみてください。

 

「ああ、〇したかったなあ・・・」

 

なんて思いながら、死ぬの嫌じゃないですか?僕は嫌です。仮にやってみて失敗したって、命までとられるわけじゃないんだから、まわりに多少の迷惑をかけたり反対されてでも、やりたいことがあるならやればいい。この話をすると、いつも思い出す言葉があります。

 

「あなたは他人に迷惑をかけて生きているのだから、他人のことも許してあげなさい」

 

人間は「オギャーッ!」と産声あげてこのかた、ただ生きているだけで誰かの迷惑になっているんだ、ということですね。たしかに、そうなんです。誰かにとってのハッピーは、誰かにとっての大迷惑なんです。

 

 

どうせ迷惑をかけないのが無理なら、自分が迷惑かけられたときに許せる人間になりましょうよ、と。そして、やりたいことはどんどんやっていきましょう。

 

「ああ、いろいろやったなあ。しんどかったけど、楽しかったなあ」

 

なんて言いながら、死ねたら最高です。

 

 

 

Book and Shisha いわしくらぶ東京店、オープンしました。

いわしくらぶ東京店がオープン

自分の事業のひとつ「いわしくらぶ」の東京店が5月1日にグランドオープンを迎えた。

今回も多くの方々のお世話になった。

協力してくれたみなさんには感謝の気持ちでいっぱいだ。

(みなさん、ありがとうございます)

 

今後は1号店である北見本店と、2号店の東京店を行き来する生活になりそう。

いわゆるデュアルライフだ。

 

デュアルライフとは都市と農山漁村が双方向で行き交うライフスタイル。二域居住。 引用 - Wikipedia

 

自分の持っている情報を常に更新していくためには東京での仕事が欠かせないし、それを地域に還元してゆくことができる。

北見の本店ももっともっと面白い場所にすることができる。

 

そんなわけで、今はソーシャルデザインや場づくりの本を多く読んでいる。

 

 

 

ソーシャルデザインは楽しい 

最近、よく聞くようになったこの「ソーシャルデザイン」という言葉。

日本のソーシャルデザインの先端を担うグリーンズの言葉を借りると、このように表される。

 

社会的な線題の解決と同時に新たな価値を創出する画期的なしくみをつくること 引用 - ソーシャルデザイン (アイデアインク)

 

僕らのいわしくらぶという「場づくり」は、地域の活性化をする「装置づくり」でもあるということだ。

 

自分たちの店の経営だけでなく地域そのものの経営を考えることは、範囲が大きくなるため大変ではあるが、ものすごくやりがいがある。

 

さて、今年ももりもり仕事をして、もりもり本を読もう。