ずっとリスクをとって生きてきた。
というと、かっこいい(?)ように聞こえるけれど、まあ好き勝手に生きてきた。
するとあら不思議、おのずとリスクを背負うことになっていたし、その代表格である借金というやつは、いまもブクブクと音を立てて膨れ続けている。
「自分でリスクをとってやってみろ」
父親からはぼくが子どもの頃からずっと、それこそ耳にタコができるほど言われてきたので、20代で商売を始めたときからリスクをとることにはあまり抵抗感はなかった。
さっきからリスク、リスクとうるさいけれど、決して僕はこの文章で「リスクをとれ」と言いたいわけではない。この世にはリスクを背負うべき人間もいれば、そうでない人間もいる。そうでない人間のほうが大多数だ。
ただ、今朝コインランドリーから家までの帰り道を歩きながら思った。
「ああ、俺にはリスクが必要なんだ」と。
去年、3つあるうちの1つの会社の代表を共同創業者に任せた。任せたというと偉そうに聞こえるかもしれないけれど、借入まわりの事情もあって「頼む!やって!」と無理やり投げた。
そのおかげで去年は例年に比べて、胃が痛くなるとか眠れなくなるとかそういった類のことは減った。事業も投資フェーズの真っ最中で、いつだって手元のお金はなかったけれど、こころは落ち着いていた。でもやはり、どこか満たされない部分があった。
「リスクをとることでしかやれないことがある」
リスクから逃げてみてわかったことは、リスクを背負っているやつにしか下せない判断があるし、リスクを背負ってないやつが下すべきでない判断がある。こうやって書いてみると当たり前のことだ。
リスクを負いたくないなら、リスクを負っているやつの意思に添いながら進めるべきだし、どうしても譲れない部分があるなら、自らリスクを背負ってやるべきだ。
とにかくリスクを引き受けてくれ、今なお堂々と立っている共同創業者には感謝している。
そんなことを考えながら、ベッドで眠る女の子の足元で、彼女の下着をていねいに畳んでいた。